あだな


子供がつけるあだ名なんてのは実に残酷で、実に無慈悲である。そこにキリストなど存在しない。博愛など無縁の世界では、「おもしろい」「笑える」という 旗に集まった義勇軍があだ名というレッテルを貼られた羊たちをリンチする。しかし、彼らには悪気はなく、彼らはなんのしがらみにも縛られずに、ただおもしろいものを追求しているから、またそれが本当におもしろいのである。

小学5年生の時に、友人とその兄弟と町内会のお祭りに出向いた。そこで友人の弟で、6歳ほどの子をおんぶしていた。北海道の片田舎のお祭りでは出店の列も100m程しかない。幼稚園児をおんぶしながら、出店を楽しむ。気づくと私の両手にはチョコバナナとトロピカルジュースが握られている。子どもを支えてるはずの両手埋まってるじゃん!と思った矢先、その園児が私のおしりの上に 座っていることに気づいた。それだけ私のおしりは人より出ているから、またがって座ることができるのだ。その経験を高校時代の友人に話すと、人がお尻に座れるという一身上の都合で「ケンタウロス」と名付けられた。

嵐の日に、校舎の2階の窓から傘を差して飛び降りた友人は、「メリーポピンズ」と呼ばれていた。

単位数が足りない大学生が、同じコマで別の授業をとっていたことから、「ハーマイオニー」と呼ばれたという人がネット上にいた。映画「ハリーポッター」に 登場するハーマイオニー・グレンジャーは、勉強好きが高じて、時が戻るアイテムを使い、同じコマの授業を複数受講するシーンがあり、それになぞらえたのだ ろう。

言葉にしてしまうと陳腐に聞こえるというのはよくあることだが、彼らの言葉は空気中に漂ってこそ初めて輝く。誰ももが知っている人物やコ ンテンツの特徴的な要素と、身近な人物もしくはコンテンツのもつある要素が絶妙にリンクしたとき、ひとつのネタとして完成し、人に語られるあだ名になる。

「ケンタウロス」というあだ名は名付けられた当時は嫌いであったが、コミック担当となった今では自分にとっても立派なひとつのネタである。悔しいことに、 キャッチーであり、おもしろいのだ。当時の自分も、それに対抗する術がなかったことに気づいていたのだろう。呼ばれるのは嫌だが、おしりが出ていることは まぎれもない事実であるし、さらりとうけながすボキャブラリーもなかった。

世の中の不条理太刀打ちできるハルパーの剣は、ユーモアでしかなかったのだ。

 

▽hungry pixies

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